「陰陽五行」とは一体なに?
【陰陽五行とは1】古代中国で生まれた学問
陰陽五行の思想が生まれたのは、古代中国の春秋戦国時代(紀元前770年から紀元前221年まで)で、「陰陽五行思想」や「陰陽五行説」と呼ばれることがあります。
自然哲学の思想で、この思想をもとに考えることで宇宙に存在するすべてのことが説明できるとされています。
【陰陽五行とは2】中国だけではなく日本に影響をあたえている
陰陽五行とは自然哲学で、中国で生まれた儒教に影響をあたえたほか、医学や学問をはじめさまざまなことに影響をあたえています。
日本には飛鳥時代(592年から710年まで)に伝わり、そのときに伝来した仏教だけではなく日本古来から信仰されてきた神道に大きな影響をあたえました。
陰陽五行説ってなに?
陰陽五行説とは陰陽説と五行説が合体してできた思想で、その根本は宇宙のあらゆる現象は生まれては消える循環をしているというものです。
「陰陽思想」と「五行思想」について
陰陽思想とは
陰陽思想とは古代中国神話に登場する帝王「伏羲(ふくぎ)」がつくりだしたものとされていて、すべての事象は単独で成立しているのではなく「陰」と「陽」という相反する形それぞれが調和して成り立っているという考え方です。
「陰」と「陽」をわかりやすくイメージすると、【昼夜・男女・善悪・吉凶】といったものです。
五行思想とは
五行思想とは、古代中国の夏(か)の創始者である「兎(う)」が発案したものとされていて、すべてのものは「木火土金水」という5つの要素で成り立っているという考え方です。
五行の「五」は5つの元素のことをあらわし、「行」は動く、巡るということを意味しています。
それぞれの元素は相手を強めたり弱めたりする影響をあたえる関係性をもっていて、相手を強める影響を「五行相生(ごぎょうそうしょう)」、相手を弱める影響を「五行相克(ごぎょうそうこく)」といいます。
陰陽五行が関係してる日本の風習
【陰陽五行が関係している日本の風習とは1】占い
日本に陰陽五行の風習が入ってきたときは、公務として占いや天文といったことを司っていたのは陰陽師でした。
陰陽師は陰陽五行の影響を強く受けていて、占いにその思想を反映させています。
また、陰陽師から貴族や庶民に吉凶占いの形で伝わり、風習として残っている地域がすくなくありません。
【陰陽五行が関係している日本の風習とは2】季節の節句
1月の七草の節句、3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の菊の節句を五節句といい、日本人になじみのある風習となっています。
陰陽五行では奇数は陽のにあたり縁起がいいとされていて、奇数が重なる日を大切に扱っています。
【陰陽五行が関係している日本の風習とは3】七五三
七五三は日本独自の風習ですが、五節句と同じように奇数が陽で縁起がいいという考えから生まれたものです。
また、七五三をおこなう旧暦の11月15日は、陰陽道の考え方で何事をするにも吉の日とされています。
【陰陽五行が関係している日本の風習とは4】水引
贈り物を結ぶときの水引は日本独自の風習ですが、陰陽五行の考えが影響してます。
慶事のときは陽の数である奇数本の水引で、弔事のときは陰の数である偶数本の水引を使用します。
【陰陽五行が関係している日本の風習とは5】漢方薬
漢方は、陰陽五行の考えを基本にしています。
五行に対応して人体の働きを5つにわけたものが五臓五腑です。
古代中国では陰陽のバランスが崩れたときに病気になるとされていて、陰の乱れがあるときは陽の漢方薬を処方し、陽の乱れがあるときは陰の漢方薬を処方しています。
積極的に生きていくことができるようになる!
陰陽五行説の考え方を理解することで、日本の風習がどうして成り立ったのかを知ることができます。
また、陰陽五行の考え方を身につけることで、積極的に生きていけるようになるでしょう。